最近

最近「勉強すること」が勉強する目的になってきていて、なんだか気持ち悪いなって思いました(>_<)

大学に入ってきたころは「教師になって、今までつまらないと思ってきた学校教育を変えてやろう!」って考えてて、学科の勉強も、教職の授業も、部活も、バイトも全てありえないぐらいのバイタリティでこなしてきたけど、それはきっと自分の限界が見えてなかったからだと思う。


ところが高梨先生の授業に影響を受けて、ものの見方を変えたところから、大人の見方をするようになってから、それが一変したんじゃないかと思う。


どういうことかというと、「大人の見方 = 自分の限界・できることを客観的に分析した上で目の前の状況にあたる」という視点であり、それは責任を持って発言し、行動する人間にとって必要不可欠なものの見方ではあるわけだけど、そういう人間が陥りやすいのが『目的と手段の入れ替わり』なんだろうとも思う。


最初はある目的を持っている。例えば俺なら「教育を変える!」という目的。ところがそれを達成するためにはたくさんの手段がある。「教師になる」「官僚になる」「教育とは全く違う専門性を身に付けた上で、教師とも官僚とも違う視点で教育と繋がっていく」。


そのどの一つを選択して実行していこうと思うと、予期していなかったスキルを要求される。目的を達成するのに必要なスキルだからこそ要求されたわけで、当然これはクリアしなくてはならない。当面の目標が「スキルの習得」へと移っていく。


そのスキルを身に付けたら、きっとまた新たなスキルを必要とされ、また目標が移って身に付けて。。。の繰り返し。


おそらくこのサイクルの中で成長し、一人前の社会人になっていくんだろうけど、どうも腑に落ちない。


あれっ。。。


ここまでの文章を読み返してみると、特に矛盾がなく、一つの専門性を身に付ける手順として、真っ当な気がしてきた^^;大事なのは目標を見失わないってことですよね^^



おそらく最近新たな課題を見つけたから、そこに向かう勇気がほしくって、何かしら文句を言い放って鬱憤を晴らしたかったんだと思います^^


結局大人の視点を手に入れられてよかったなって話でしたm(_ _)m


最後に、こんなオチのない文章を読んでいただいた全ての方に感謝しますm(_ _)m