退修会

高梨先生から退修会のお知らせが届きました。これは、先生のおうちでお酒でも飲みつつ、景色を楽しみつつ、自然のリズムに浸りながら思索にふけろう!という趣旨の集まりです。
前回先生の田んぼでもち米を植えたのですが、それを刈る時期が来ても全く連絡がなく、残念に思っていたところ、単に用事が立て込んでいたとのことで、おそらく次の退修会(2004/1/15,16)では餅つきでもやるのではないかと思っています。
広井先生の著作や、社会福祉論での足立先生の話に触れ、また生命科学についてのトピックに触れ、明らかに医療・福祉方面に意識の向かっている私ですので、高梨先生はじめ、そこへ集まる多くの学生さん、学者さんの知見に触れてこようと思います。
先生は来るもの拒まずだと思うので、興味のある人は一緒に行きましょう!場所は上総湊からバスで20分ほどのところです。

先生からのお誘いの文章の中に、こんな言葉があったので勝手に引用します。
『研究学徒の一人である私は、口から出た途端に空中に霧散していく「話しことば」には殆ど価値を置いていないが、「書きことば」は人がこの世に生きた確かな証だと考えている(私は、その人の「書きことば」はその人の墓石をはるかに凌ぐ生き証人である、と考えている)。
むの たけじ先生は、その意義を、
『文章―それは一粒のタネである。熟しているものほど、タンポポのタネのように遠くへとぶ。講演―聞き手の胸にとどけ得るものは、せいぜい一本のクギである。聞き手の人数が数人であっても数百人であっても同じである。』
と述べている。』
私はどちらかというと、なんとなく話すだけで満足してしまい、その結果を後に残そうとするタイプではありません。しかし、この文章を見て、もう少し自分の意見を文章として表現する練習をしていこうと思いました。「そして今を生きた証を。。。」なんて言ってみたりして^^;
シーナくんも似たことを書いてたよね^^