わけ

こないだでぞーんに、なんでわざわざ福祉なの?って聞かれてはっきり答えられなかったのですが、今日「コンコルド」というダンス集団のステージをテレビで見てたら、ちょっと分かった気がしました。


いやぁ、この人たちのステージを見てて久々に感動ってやつを味わいましたよ。それはダンスがうまいとかそういうのではなくって、この人たちはどれだけ表現の窓口持ってるんだろう!!っていう驚きです。


体操の世界大会のビデオを毎日何時間も飽きずに見ていた時期があったので、体の線の出し方とか、動きをどう繋げばよいのか、それを見極める目を多少なりとも養ってきたつもりです。体操はそこに「難度」という要因が入ってくるわけですが、その目で見た時に、この人たちの動きは「線」と「繋ぎ」が抜群なんですよ。


ようするに、難しさより「見せ方」の点でバリュエーションが豊富なんです。


じゃあ彼らがどのようにしてそれを得てきたのか。それは「たくさんのダンスと人に出会い、それまでの自分と新しい何かがぶつかる中で、表現の窓口を増やしてきた」これに尽きます。


それを踏まえて、話を元に戻すと、私がなぜ福祉の道に進もうと思ったのかと考えてみますと、「そこでより多くの自分を見つけられるから」というのがぴったりであるように思います。


福祉関連の本、特に死生観であったり、「死の迎え方」を題材にした本を読み終えるたびに、自分の考え方の変化に気付ける。デイサービスでお年寄りたちと対峙している時、自分の知らない自分が引き出されているのが感じられる。


つまるところ、自分の窓口が開かれていく、それを実感できる分野が今の私にとっては福祉だということです。


それは今や、大学では得ることのできない感覚であり、きっと大学院でも企業でも得ることはできないでしょう。そういうわけで、しばらくは自分の感覚の赴くままに突っ走っていってみようと思います。