非戦を唱えるために

還暦。
一回りしましたね。


原爆に関しては個人的に思い入れがあるもので、
(あっきーの家で泣いたりもしました)
8月6日も自分にとっては特別な日でした。


戦争ってのはやなもんですよ。





私たちのように戦争を知らない世代は
戦争の悲惨さ、
人間の意地汚さ、
といったものを伝え聞き、
中韓から身に覚えのない批判を浴びる理不尽さを感じているので、
「とりあえず戦争はやなものだ」
という認識はあると思います。


でもそれってただの感情論じゃないですか?


戦争を批判する根拠として、非常に脆弱なものである気がしてなりません。


戦争が起こる状況を目の前にして、
武力を持たずして何ができるのだろうか?
私たちはこの問いに真正面から答えなくてはならないはずです。


私は今回の憲法改正には反対なわけですが、
ではなぜ武力を持ってはいけないのか、
あるいは「持っていなくて済まされるのか」
という問いに対して、答えることができません。


しかし感情論のレベルでは、戦争はいやなんです。
だからどうにかして答えたい。


この問題に答えるためにまず、なぜ戦争が起こる状況が生まれるのかを考えてみます。


戦争が起こる状態って言うのは、
2パターンあると思います。


1.「不自由な状況」を打開するため。
2.「自由の拡大」という欲求を満たすため。


1のパターンはイラク戦争がそれに当たります。
独裁国家に民主主義を!がスローガンでした。
全ての国民に「政治へ参加」してもらう。
「公の場で意見する自由」を確保する。


それまでにあった「不自由」をなくし、「自由」を拡大する。
そこに意義があったわけです。


では2のパターンは?
それが太平洋戦争に至るまで、日本が起こした戦争ではないでしょうか。


大東亜戦争自体は
アジア諸国を西洋から独立させる」
という大義名分のもとに行われました。
ここにおいて1の要素を持っていたわけですが、
結局はただの侵略戦争となります。


植民地の拡大。搾取。エスノセントリズム
自国の「自由を拡大」するために行われた戦争。
これが2の戦争です。


私たちは2のパターンについては無条件に批判できるでしょう。


しかし1のパターンについてはどうでしょうか。
今の北朝鮮の状況に関して、日本は何かやれていますか?
アメリカの提示している「武力による解決」以上のものを見出せていますか?


私たちが「平和」を貫くためにできること、
それを現実的に見つめ直す、そのきっかけになるように、
この60年という節目の年を過ごしていきたいです。