社学の自主ゼミ

初めて文系のゼミってやつに潜り込ませてもらいました。
広井先生のゼミには一年ほど前に顔を出させてもらいましたが、
今回のように意見を言わせてもらえるような雰囲気ではなかったので、
「参加」と言う意味で「初」でした。


内容は「ライフコース」と「クィア


どちらも議論が拡がっていっちゃって、
結局「人生とは」「人とは」みたいな話になっていった気がしますが、
自分なりにまとめると
「どういう態度で生きるか」
という話だったんだと思います。


「ライフコース」の話で行くと、
俺なんかはかなり、というか完全に「物理学科」という現在の立場から延びる「ライフコース」を逸脱しているので、
「ライフコースを疑う」という作業はやってきたつもりです。
その経験をもとに考えると、
ニートというのが少し見えてくる気がします。


つまり、ある「ライフコース」を辿る途中、
それが唯一絶対のものではなく、
幾つかあるうちの一つだと気付いた時に、
それでも自分にはその「ライフコース」を辿る以外にはなく、
しかもその中で「勝ち組」になれないと知った時(「勝ち組」という表現はちょっと怪しいですが)、
思考停止に陥ることがニートなのではないか、と。


今日の話を自分なりにまとめるとこんな感じでしょうか。


クィア」に関しても簡単に思ったことを言うと、
ジェンダーについての議論が面白かった。


ジェンダーって言うのが社会的に、生後獲得するものであるとするなら、
性同一性障害のような括りはいかがなものだろうか、と。


例えば「体は男だけど心は女」と言った場合に、
「心は女」と言う表現は
「<女というセックス>に付随する<女というジェンダー>」を仮定し、当てはめているわけで、
彼が<彼のジェンダー>を構築したとは言わない。
この見方からすると「ジェンダーとセックスは違うものだ」というそもそもの前提は崩れ、
結局「ジェンダーは生得的なもの」(それは「<セックス>に付随する<ジェンダー>」という意味で)
という結論に至ってしまう。


というような話だったと思うのですが、
ちょっとあやふやふやなのでこの辺で。。。




今日を振り返って、改めて十分の勉強不足を痛感しました。
もっともっと世間に開かれていきたいなぁ。
がんばろ。。。