必要とされない人となれ

昨日、ネコにえさをあげてから、いつものようにでぞと係長とだべっていたのですが、
自分で言っていて「それができたらすごい!」と思えることがあったのでここに書き留めておきます。


それは「自分の存在を必要ではなくするために働く」というビジョン。


め組の大吾」というマンガをご存知ですか?
消防士である主人公の大吾は、レスキューの才能にあふれ、
どんなに絶望的な状況でも「必ず」要救助者を救出する、
そんな火事場のバカヤローです。


その彼が友人たちにこんなことを言います。


「本当はレスキュー隊なんかない世の中が一番いいんだよな。
俺は災害0の世の中にしたいって、本気で思ってる。

でももしこの世から災害がなくなったら、
世の中はよくなっても、
俺はどうなるんだろう?

俺は怖いよ。
本当に災害がなくなったら、俺は、また、
なんの役にも立たない奴に戻っちまう。」


彼の才能が発揮される場、それは災害と言う悲劇的な状況においてであります。


その悲劇的な状況で彼は必要とされ、
しかしその一方で人々は、
彼が必要となるその状況が起こってほしくないと願っている。


そんなジレンマの中に置かれているわけです。


でもそういうのってかっこいいですよね。






俺はいくつになっても生き生きとした人生を送りたい。
そこから派生して行き着いた一つの目標は
「寝たきり老人0」ということ。


バイトの性質上、寝たきりの方を介助することもあるのですが、
こう言ってはなんですが、俺はあぁいう人生の終え方をしたくない。
自分の行きたいところへ自分の意思で出掛け、
思った通りのことをする。
そういう人生をいつまでも送っていきたい。


だから「寝たきり0」の世の中を作りたい。


しかし本当に寝たきり老人を0にしたら、
俺の存在って要らなくなるんですよね。
いやそれは言い過ぎだとしても、今存在する入居型の施設の多くは潰れるでしょうし、
介護職に従事する人の多くが失業する結果になるかもしれません。


しかしだからといって、弱気になってほしくない。
自分の居場所がなくなるのを恐れて「寝たきり老人」問題を放って置くことだけはないようにしてほしい。


でぞーんが言ってたように、
それは警察も同じだし、医療従事者も同じだし、環境問題を論じる人も同じなわけです。
きっとフェミニズム論者も同じでしょう。


自分が必要とされないような世の中を作る。
俺も常にそういう気持ちで、妥協せず、諦めず、
頑張っていきたいな。