社会保障としての住宅整備

Koshiくんから借りてた
上田耕蔵「地域福祉と住まい・まちづくり」(学芸出版社
をやっと読み始めました。


なるほど、住宅ってのはそれ自体が社会保障になるんですね。


ここでの舞台は震災後の神戸。
ですので、本当に「住む家がなくなった高齢者」が中心に描かれています。


いま「」のなかで特別に強調したのは、
「家の中に居場所がなくなった高齢者」と区別したかったためで、
介護疲れから面倒をみるのを放棄されたり、
社会的入院によって家にいられなくなったお年寄りとは
状況が違う。
そのことに注意を促したかったからです。


さて本文を見ていくと、
相互扶助のコミュニティー形成が課題となった震災後の神戸において、
住宅の在り方が注目されました。


具体的には独居高齢者。


仮設住宅に一時的に住んでいる時には、
薄壁一枚を隔てて住んでいる隣の人の気配が感じられていたため、
普段から地域の活動に参加していない人の状況やなんかも把握できていたようなのですが、
公団の抽選が当たり、そこで一人暮らしするようになったお年よりは、
孤独死」の割合が増えてくるそうです。


孤独死」とは、その家で亡くなっていることに気付かず、
死後何日か経ってから発見されるケースのこと。


私は生き方より死に方にこだわる人間なので、
死んでから何日もの間だれにも心配されず、
気付いたら死んでた。
という終わり方はなくしたいと思ってます。


それは神戸で高齢者の方のお世話をしている職員の方、ボランティアの方も同じ気持ちであって、
孤独死を減らす努力、
それはほぼイコールで密な人間関係の構築なのですが、
その取り組みが「住宅」をテーマになされてきたわけです。


住宅の工夫だけで「孤独死」が減る。
本当にそんなことが可能なのかとお思いになるかもしれませんが、
相当に可能性の高い具体例を2つほど挙げてみます。


まず一つ目は「コレクティブハウス」。
これは何世帯かの住人が土地の一割ほどを提供し、
ちょっとした「共同スペース」を作るというものです。
その共同スペースで料理を楽しんだり、
集会所として利用したりと様々な用途に使えるのですが、
各世帯は独立なため、プライバシーは確保され、
みんなと一緒にいたくないときは調理などを自分の部屋でやれたりします。
このプライバシーという点が痴呆高齢者向けのグループホームと少し違うところでしょうか。


このようなコレクティブハウスには生活支援員(LSA)が配置されている場合が多く、
この人が「見守り」の役割を負っています。


というように、コレクティブハウスには人と人との交流の機会が多く、
これにより「孤独死」が減らせると考えられます。


2つ目の取り組みは「シルバーハウス」。
これは公団などの中に、普通の住宅と混じって作られたりします。
例えば1,2,3階はシルバーハウス、4,5,6階は普通の住宅、といった具合に。


この型の住宅は「高齢者の自立を支援する」ということで、
段差の解消、手すりの設置、非常呼び出しベルの設置などの環境面に加え、
先ほども出てきたLSAという支援員が配置されます。


「高齢者が自立している」ため、
社交的でないお年寄りは人と触れ合う機会を持たなくともよく、
こうなると「孤独死」の可能性はぐんと上がります。


そこで活躍するのがセンサー。
室内を16時間以上動くものがないと作動するもの。
12時間以上水が使用されてなかったり、
一定速度で使いっぱなしになったりすると作動するもの。
etc.


なんでも8割は誤報らしいのですが、
2割も本当の危険を知らせてくれるのなら大したもんです。
センサーが作動すると警備会社の人やLSAのひとが駆けつけてくれます。


このようにして、
孤独死」はまずやめよう。
もっと「生活の質」をあげていこう。
という取り組みが各方面からなされています。







今回は住宅を切り口に長々と話してきました。


このことを通じて何が言いたかったかというと、
「よく生きるために必要なこと」というのは
仕事だけでなく、遊びだけでなく、お金だけでなく、
住環境であったり、人との関わり方であったり、社会資源の活用であったり、
様々なものが複合的に絡み合っているわけで、
若いうちにはそういうものをもっと学んでおく必要があるのではないか?
と思うわけです。


私は「一生を通じてよく生きる」ために学んでいます。
学びっていうのがそういう目的であるような、そんな世の中にしたいもんです。